高速道路

首都高速神奈川1号横羽線

東京都大田区の高速大師橋北詰から神奈川県横浜市中区の石川町ジャンクションまで延びる首都高速の路線。全線開通は1984年2月。国道1号・15号の慢性渋滞を緩和し、東京湾岸と横浜港をつなぐ産業・物流の幹線として機能する。

東京と横浜を結ぶ高架の大動脈

東京都大田区の高速大師橋北詰から、神奈川県横浜市中区の石川町ジャンクションまで——首都高速神奈川1号横羽線は、通称「横羽線(よこはねせん)」として知られる約20キロメートルの路線だ。国道1号・国道15号の慢性的な交通渋滞を緩和するために整備され、東京湾の西岸を南西に走りながら、大田区・川崎・鶴見・横浜の各エリアを一本につなぐ。

路線の建設は段階的に進んだ。最初の区間が開通したのは1968年(昭和43年)のことで、以後、神奈川県内への延伸が続けられた。1971年(昭和46年)7月19日には東神奈川から浅田まで6.8キロメートルが開通し、これが神奈川県内における最初の開通区間となった。同年11月28日にはさらに浅田から羽田へ6.9キロメートルが延伸し、工事はその後も継続した。1984年(昭和59年)2月2日、横浜公園出入口から石川町ジャンクションが開通することで路線は全通した。最初の開通から16年あまりをかけて、横羽線は東京湾岸を南北につなぐ幹線として完成した。

産業ベルトを走る沿岸の高速道路

横羽線が貫くのは、川崎・鶴見・横浜へと続く東京湾岸の重工業・港湾地帯だ。石油精製や化学工業の工場が集積する川崎臨海部、コンテナ船が往来する鶴見の港湾施設、そして横浜港へ続く沿岸のベルト地帯を、高架の路線が縫うように走る。国道15号(第一京浜)とほぼ並行しながらも、高速道路として自動車交通を地上から引き上げることで、沿岸の物流効率を高めることに貢献してきた。

路線は首都高速湾岸線(B)ともネットワークでつながっており、羽田空港や東京港への連絡も担う。単なる二都市間の連絡路にとどまらず、広域的な物流インフラの一翼として機能する路線だ。高架の上から見渡すと、製油所のタンク群や港湾施設のクレーンが連なる景観が展開し、日本の湾岸工業が戦後を通じて積み上げてきた歴史を視覚的に体感できる。

まとめ

首都高速神奈川1号横羽線は、1968年の最初の開通から1984年の全線完成まで16年以上をかけて整備された、東京湾岸の幹線高速道路だ。大田区の起点から横浜市中区の石川町ジャンクションまで約20キロメートル、川崎・鶴見の産業地帯を縫いながら走るこの路線は、国道1号・15号の渋滞緩和という当初目的を果たしながら、湾岸の物流大動脈としての役割を今日も担い続けている。横浜みなとみらいや川崎の工場地帯を走るとき、車窓に広がる高架と工場群の連なりに目を向ければ、この路線が担ってきた役割の重さが伝わってくる。

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参考・出典

  • 首都高速道路 ネットワーク案内 高速神奈川1号横羽線(shutoko.jp/use/network/map/route-k1/):起点・終点・路線概要を参照
  • 首都高速神奈川1号横羽線 Wikipedia(ja.wikipedia.org):全線開通1984年2月2日・1971年7月19日東神奈川〜浅田6.8km(神奈川県内初)・1971年11月28日浅田〜羽田6.9km開通を確認
  • Weblio辞書 首都高速神奈川1号横羽線(weblio.jp):1968年(昭和43年)最初の開通区間を確認
  • 全長は資料により19.7km(英語版Wikipedia)〜20.1km(他資料)と差異あり。本文は「約20km」と記述

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