勝鬨橋
1940年竣工、全長246mの三径間鋼道路橋。中央部に国内唯一のシカゴ型二葉式跳開橋を持ち「東洋一の可動橋」と呼ばれた。1970年以降は開閉を停止し、2007年に国の重要文化財に指定。
- 用途
- オフィスビル
- エリア
- 中央区
- 竣工
- 1940年
- 開発
- 東京市
- 設計
- 安宅勝(東京市技師)
隅田川に跳ねた「東洋一の可動橋」
中央区の晴海通りが隅田川を渡る地点に、1940年(昭和15年)に竣工した勝鬨橋が架かっている。全長246メートルの三径間鋼道路橋で、中央の支間にはシカゴ型二葉式跳開橋(ダブルリーフ・バスキュール橋)を採用した。二枚の跳ね橋が左右に開く可動支間は51.6メートルに達し、国内最長を誇る規模だった。設計は東京市技師の安宅勝が担い、跳開部の機械設備は川崎車輌・横河橋梁製作所・石川島造船所が分担した、すべて日本企業による純国産の橋だ。
完成当時、橋は1日最大50回、1回あたり20分にわたって中央が空へ向かって開き、隅田川を往来する大型船を通した。「東洋一の可動橋」という呼称が与えられ、その動く橋を見物しようと市民が集まったという。両側の固定径間には下路式タイドアーチが連なり、跳開部と合わせて水面に一体感ある弧を描く。
「開かずの橋」になった背景
1964年(昭和39年)、上流に佃大橋が完成した。固定橋を経由する迂回ルートができると、大型船が勝鬨橋を通る必要は急速に薄れた。同時に高度経済成長によるモータリゼーションが東京を覆い、橋上を行き交う自動車の数は膨らみ続けた。跳開のたびに交通が遮断される渋滞が深刻化し、1970年(昭和45年)11月29日を最後に橋の開閉は止まった。以来、勝鬨橋は「開かずの橋」として静かに隅田川に横たわっている。
開閉を停止してから半世紀以上が経つが、橋の重厚なアーチと橋門構は現役で通行者を迎え続けている。2007年(平成19年)には清洲橋・永代橋とともに国の重要文化財(建造物)に指定され、都道府県管理の道路橋としては日本で初めての文化財指定となった。跳開部の機械設備は日本機械学会「機械遺産」にも認定されており、土木・機械工学の両面から評価されている。
まとめ
竣工1940年・全長246メートル。設計者・安宅勝の手による勝鬨橋は、可動橋として現存する国内唯一のシカゴ型跳開橋という技術史的な価値を持ち、重要文化財として今も隅田川の風景を形づくっている。
橋の上から西を見ると、はるか彼方に都心の高層ビル群が重なり、東には晴海の水辺が広がる。足元の川面を覗けば、かつてここを大型船が行き来した日々が想像される。近くにはパークタワー晴海やドゥ・トゥールなど湾岸タワマンが建ち並び、1940年の可動橋と現代の超高層とが時間差で共存する景観は、東京でしか見られないものだ。月島・勝どきのもんじゃストリートから橋を渡るルートで、ぜひ一帯を歩いてほしい。
周辺への宿泊をお探しなら楽天トラベルもご活用ください。
関連リンク
PR※ 以下のリンクには広告(アフィリエイト)が含まれます。リンク先での購入・予約により当サイトが収益を得る場合があります。
参考・出典
- 勝鬨橋 - 日本語Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/勝鬨橋
- 文化遺産オンライン(文化庁)https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/147848
- 日本機械学会 機械遺産 第84号 https://www.jsme.or.jp/kikaiisan/heritage_084_jp.html
- 中央区観光協会 https://www.chuo-kanko.or.jp/pages/other_details/115649